お通夜場所を更新しました。


Information

92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんが24日朝、神奈川県川崎市内の自宅で亡くなった。53歳だった。死因はがんだったことを、所属の日本スポーツエージェントが発表した。

古賀稔彦さんの道場と自宅の場所です。

M FUNNoName_2021-3-24_20-17-46_No-00
画像引用--古賀稔彦氏の死因はがん 所属エージェントが発表




お宅



目的地アイコン1


道場と自宅




M FUNNoName_2021-3-24_20-43-25_No-00



情報

92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんが24日朝、神奈川県川崎市内の自宅で亡くなった。

53歳だった。

死因はがんだったことを、所属の日本スポーツエージェントが発表した。

 また、講道学舎で会長を務めていた中山美恵子さんが取材に応じ、昨年9月28日に会った際にがんだと聞いたという。

「たぶん初めて外に漏らした時だったと思うんです。

お母さんにもお兄さんにも言っていなかったそうですから」と振り返り、悲しみの対面には「道場できれいな顔をして眠っていました」と語った。

 古賀さんは67年、佐賀県三養基郡生まれ。小1で柔道を始め、中1で上京し柔道私塾講道学舎に入門した。

世田谷区立弦巻中、世田谷学園高、日体大に進み、各世代でタイトルを獲得した。

 豪快な一本背追いを武器に、「平成の三四郎」の異名を取った。

90年には全日本柔道選手権に出場。

体重無差別の大会にもかかわらず、重い相手に勝利を重ね、決勝進出を果たした。

決勝では当時の世界王者の小川直也に敗れたが、準優勝に輝いた。

 五輪は88年ソウル五輪は3回戦敗退、92年バルセロナ五輪は71キロ級で金メダル。96年アトランタ五輪は78キロ級で銀メダル。

世界選手権は89、91、95年と3度の金メダルを獲得した。

 00年に現役引退したあとは指導者に転身。

女子チームのコーチも務めた。03年には神奈川県川崎市に「古賀塾」を開き、町道場として、地域の子供たちを指導。

07年からは環太平洋大学の総監督に就任した。





目的地アイコン1


お通夜場所




M FUNNoName_2021-4-9_23-12-34_No-00













数字付きのフィルムアイコン
静岡新聞「私と五輪」古賀稔彦さんb_simple_72_0S






オフィシャルブログ








おすすめ


[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

古賀稔彦 一本で勝つ 柔道実戦教科書 DVD-BOX [DVD]
価格:14075円(税込、送料別) (2021/3/24時点)











ご冥福をお祈りします